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2017年08月
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1: 名無しさん 2014/04/11(金)19:11:11 ID:1Y0GdgJOC
需要あればいいな

引用元:http://viper.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1397211071/

2: 餃子◆1TGrIObB0Y 2014/04/11(金)19:11:59 ID:sO46Ca7od
そういう衝動にかられたのか

3: 名無しさん 2014/04/11(金)19:13:10 ID:RlyT5VUWV
期待

5: 名無しさん 2014/04/11(金)19:15:53 ID:1Y0GdgJOC
人いてよかったー
ほんじゃまあ書き溜めた分ぽちぽち投下してきます

まず言っておきたいのは、漢字っていう文字はその発生から現代まで変化をしながらも連綿と系譜が続いてきた、世界で唯一の文字であること。
日本の かな文字も漢字がもとだから、いまの日本の文字も中国の古代にまでその系譜を辿れる。
中国は今はあれだけど書道では(当たり前だけど)先進国。日本の書道のレベルは中国の足元にも及ばない。ぐぬぬ・・・
いきなり長すぎた・・・ぐぬぬ・・・

7: 名無しさん 2014/04/11(金)19:16:57 ID:1Y0GdgJOC
あと、文字には表音文字と表意文字 という二種類があり、アルファベットやかな文字、ハングルとかは表音文字。文字自体に意味は無くて、その羅列によって初めて意味を成す、一文字単位では音を表すだけの記号。一方漢字は、その文字ひとつで意味を成す表意文字。古代文字だとエジプト文字とかもそう。
例えば、「e」「え」だけでは意味を成さないでしょ?でも漢字だと「絵」「江」など、一文字で意味がわかる。これが、おおまかな表音文字と表意文字の違い。

8: 餃子◆1TGrIObB0Y 2014/04/11(金)19:17:06 ID:sO46Ca7od
ほほう

9: 名無しさん 2014/04/11(金)19:18:19 ID:1Y0GdgJOC
前置きはこんくらいにしときます。とりあえず書道という文化が芸術に至ったところまで書きま!

あと余裕あったらレスするぉ^ ^

10: 名無しさん 2014/04/11(金)19:19:57 ID:1Y0GdgJOC

まずは先史時代

紀元前5000年ごろ、黄河周辺にぞろぞろと人々が集まって文化を形成。この人らが、いわゆる漢民族。
簡単な記号を作って占いとかします。でもこれはおよそ文字とは言い難いのでスルー。
伝説では、紀元前2500年前に蒼頡という四つ目の化け物野郎が動物とかを見て漢字を作ったといいうけれどあくまで伝説なのでこれもスルー。

11: 名無しさん 2014/04/11(金)19:22:05 ID:1Y0GdgJOC
殷時代
歴史的に現時点で最古の文字と言われるのが紀元前1600年頃の殷時代の「甲骨文字」。ほぼ記号だけど漢字っちゃあ漢字。

この甲骨文字を見つけた事は中国でも歴史的大事件だったんだが、きっかけは王懿栄(オーイエー)というおっさんが病気で苦しんでいて、胡散臭い薬屋で竜骨っていう動物の骨を砕いて服用する漢方薬を買ってたんだけど、ある時買った竜骨を見て「あれ、これ文字じゃね?」ってなって友達の劉鶚っていう学者のおっさんと大騒ぎ。でも色々あって自殺。劉顎のおっさん一人で本を出す。反響MAX。

中国人「最古の漢字発見したの劉顎って奴らしいぞ!すげえ!」

王懿栄「・・・」

12: 名無しさん 2014/04/11(金)19:23:22 ID:1Y0GdgJOC
っていうかいま気づいたけどスマホからじゃ画像貼れないの・・・?画像なきゃわかんない・・・

13: 名無しさん 2014/04/11(金)19:26:00 ID:1Y0GdgJOC
まあいいや気になった人は申し訳ないけどキーワードでググっておくれ!

殷・周時代

その後、殷から周の時代にかけて、青銅器の鋳造が流行。そこに掘られたのが「金文」。甲骨文字と比べて、大分漢字っぽくなってきて読める文字も多い。

ちなみに>>1は台湾の故宮博物院で、この時代の散氏盤という青銅器をみて釘づけになった。周の金文は、記号と漢字の中間くらいにあって、造形がなんだかPOPで可愛らしい。

14: 名無しさん 2014/04/11(金)19:32:16 ID:1Y0GdgJOC
春秋・戦国時代

そして、史記などで有名な春秋戦国時代。大きな石などに文字を刻んだ「石鼓文」に代表される石刻文字が登場。

この時代は多くの国が割拠していたせいもあって、書き方や形の違いがあるものの、中国全土でおおよその文字が漢字の様相をみせる。

これを「大篆」といい、すべての漢字の原型である『篆書』が誕生して、ここではじめて「書」と呼べるに値する文字が誕生するのである!

15: 名無しさん 2014/04/11(金)19:35:49 ID:1Y0GdgJOC
自分で書いた
甲骨文字こんなん(´・ω・`)
no title

16: 名無しさん 2014/04/11(金)19:36:48 ID:1Y0GdgJOC
恥ずかしいぉ・・・(´・ω・`)
no title

17: 名無しさん 2014/04/11(金)19:38:15 ID:1Y0GdgJOC
画像はれたわ(´・ω・`)
no title

18: 名無しさん 2014/04/11(金)19:40:43 ID:1Y0GdgJOC
>>17が、散氏盤です。
なんかわちゃわちゃしてすんません(´・ω・`)
人いるかな・・・

19: 名無しさん 2014/04/11(金)19:41:19 ID:1Y0GdgJOC
で、これが石鼓文
no title

20: 名無しさん 2014/04/11(金)19:43:19 ID:fTQ2tdFSs
つづけなさい

21: 餃子◆1TGrIObB0Y 2014/04/11(金)19:44:18 ID:sO46Ca7od
筆に任せてどうぞ

22: 名無しさん 2014/04/11(金)19:44:21 ID:xM0ybbJqQ
倉敷の大原美術館で骨に書かれた甲骨文字を見に行ったことがある。

23: 名無しさん 2014/04/11(金)19:44:27 ID:1Y0GdgJOC

秦時代

ほんで、万里の長城でお馴染み始皇帝の作った秦。群雄割拠の戦国時代を勝ち抜いて中国を初めて統一したんだけれども、みんな漢字の書き方がバラバラ。知らない文字もある。ここはバシッと権力示さなきゃ!
というわけで文字統一。 家臣の李斯に命じて各地の大篆を整理し、統一してこれを正式な文字として制定。これが、いま日本のパスポートの文字にも使われる「小篆」。一般的な篆書とはこれをさす。
全体的にやや縦長で左右対称、線の太さも均等で、端正で美しい文字である。

始皇帝は、自分の支配を示すために中国の7つの山の石にこの小篆を刻しました。が、50歳で急死、その後えげつない反乱が勃発、そこきみんな大好き項羽と劉邦が登場してわずか15年で秦はすぐに滅んじゃいましたとさ。

画像はその刻石のひとつ、泰山刻石。
no title

24: 名無しさん 2014/04/11(金)19:48:49 ID:1Y0GdgJOC
人いてよかったー
じゃあどんどんいきます。

前漢時代
そして、項羽と劉邦がドンパチして、劉邦が勝って作った国家が漢王朝。この前後で、篆書に次ぐ新たな書体『隷書』が発生。
隷書とは、犯罪かました下級の役人が獄中で奴隷のような扱いをされていた時に新たな文字を発明して、その功績によって始皇帝に許されたというのが名前の由来だけれど、あくまで俗説なのでスルー。

実際は、色々書き物の多い役人が
「篆書くっそめんどくせえ!時間超かかる!!」っていう理由で簡略化されたと思われる。(実際書いてみたら超わかる)
あと、この頃に毛筆が発明され、隷書の普及に大きな影響を及ぼす。
この頃の隷書は、木簡といって木に書かれてるのがほとんどなので、あまり多く残っていないです(´・ω・`)

25: 名無しさん 2014/04/11(金)19:50:51 ID:1Y0GdgJOC
前漢の七代武帝の時代には、いよいよ隷書が篆書に変わって正式な文字に認定。
そして、隷書を崩して書いた「章草」が発生し、ここに新たな書体『草書』が生まれる。

草書といえば、崩しすぎてなに書いてるかわからない達筆()の文字として認知されている。一番崩してるから一番古い文字なんじゃないの?と思いきや実は篆・隷に次ぐ三つ目の、古代の文字でした。
画像は漢の隷書。
no title

26: 名無しさん 2014/04/11(金)19:53:02 ID:1Y0GdgJOC
新時代

その後、わずか9歳で漢王朝13代目に即位した平帝の補佐役・王莽がクーデターを起こして平帝を殺害し、新を建国。結果的には速攻反乱を起こされて死亡。わずか15年で新は滅びるものの、この時代にのみ作られた「貨泉」が日本で出土していることは興味深い。(日本はそのころ弥生時代)
no title

27: 名無しさん 2014/04/11(金)19:54:58 ID:1Y0GdgJOC
後漢時代

結局王莽を倒したのがかつての漢皇帝の子孫だったことから漢が復活。いわゆる後漢。
この時代は隷書がさらに発達し、波磔のついた横長の八分隷と変化し、石碑などに多く用いられた。(画像)篆書と比べて曲線的で、点画もはっきりとしている。横長で波磔強調され、毛筆ならではの線の強弱や太細もある。ちなみに>>1は隷書が一番すき

no title

28: 名無しさん 2014/04/11(金)19:56:42 ID:1Y0GdgJOC
丸したところが波磔。
no title

29: 名無しさん 2014/04/11(金)19:57:03 ID:hH4OYTRDF
続けなさいφ(..)メモメモ

31: 名無しさん 2014/04/11(金)20:01:03 ID:1Y0GdgJOC
みてくれてる人たちありがとう。初スレ立てで戸惑ってるけど勘弁してください・・・

また、章草から隷書っぽさがなくなりいよいよ本格的に草書が誕生。書道界で「草聖」と呼ばれるほど草書が巧みだった張芝という能書も出現。一般に普及しすぎて、趙壱という書論る著作で草書の普及を危惧したレベル。「最近みんなちゃんとした字を書かなくなってきててヤバい」とのこと。いつの時代も物事の変化には戸惑いが生じるものですな。

32: 名無しさん 2014/04/11(金)20:01:58 ID:1Y0GdgJOC
この時代に草書と隷書のいいとこ取りをした行書や、隷書をさらに端正に、点画をはっきりとさせた楷書が生まれたが、資料少ないし全然完成してないのでスルー。

ちなみにこの頃、蔡倫という人が世界で初めて紙を発明。地味にすげえ。一気に書道が発展する。それまでは木簡や竹簡など、木や竹などに書いていた。

no title

33: 名無しさん 2014/04/11(金)20:03:39 ID:hH4OYTRDF
ふむふむ

34: 名無しさん 2014/04/11(金)20:04:43 ID:1Y0GdgJOC
またなんか変なの貼っちゃった

三国時代

そしてまたまたみんな大好き三国時代。黄巾の乱やら董卓が大変やらでなんだかんだ曹操が台頭。曹操が権力をもつと、諸侯の力を示させないために立碑の禁を発令。これによって、その後ながらく石碑は作られず、そもそもみんな戦争で忙しいこともあり、こも時代の書の作品は少ない。
しかしながら、三国志の世界で「キング・オブ・地味」として有名な鍾?が、漢時代にさりげなく発生した『楷書』で多くの名書を残し、後の書家に大きな影響を与える。

画像は鍾??の書。やはりまだ隷書っぽさが残る。
no title

35: 名無しさん 2014/04/11(金)20:05:51 ID:1Y0GdgJOC

六朝時代

三国時代を勝ち抜いた司馬炎が晋を建国。いわゆる西晋。特になにもないが、曹操の死後もなんだかんだ石碑を立てることが禁じられ、みんなは尊敬する人の功績を、お墓に隠してひっそりと記した。これが、この六朝時代の書においてメインの筆跡となる「墓誌」の始まりである。

36: 名無しさん 2014/04/11(金)20:07:31 ID:1Y0GdgJOC
その後西晋が匈奴に滅ぼされて、南方に逃れてなんやかんや晋を再興。
その間中国北部では5つの民族がドンパチしまくって16の国が生まれては滅ぶ、いわゆる東晋・五胡十六国時代に突入。
北でガチャガチャやっている間に南部の東晋では貴族たちが優雅な生活を送っていて、書道も単なる事務的な用途から、貴族や役人のステータスとなり、次第に芸術の域となっていく。
どこの国にも共通するが、貴族が趣味に耽れる程度のそこそこ平和な状況で芸術は花開く。

この時代に、後世に絶大な影響を及ぼす書聖・王羲之が出現する。


やべえけっこう書き溜めたと思ったのにもうストック尽きそう・・・王羲之までしか書いてねえ・・・

37: 名無しさん 2014/04/11(金)20:08:21 ID:fTQ2tdFSs
かまわんよ
のんびり続けなさい

39: 名無しさん 2014/04/11(金)20:15:17 ID:1Y0GdgJOC
>>37 ありがとうござす・・・

王羲之のエピソードで一番有名なのはなんといっても王羲之の代表作で、行書の最高傑作と呼ばれる「蘭亭叙」のエピソード。
ある日蘭亭という宮廷で詩会を催した王羲之。その宴は、曲水の宴といい、小さな水の流れのある庭園で杯を流し、自分の前を流れるまでに詩を詠んでその杯をとって飲むというちょっと調子のった文学部生のような飲み会だった。
その会の後、覚えているうちに宴の記録を書き記すために酔いながら草稿(下書き)したのが蘭亭序である。王羲之は、そのあとシラフで何度も書き直しても、その草稿を超えるものは書けなかった。

画像は蘭亭叙
no title

38: 名無しさん 2014/04/11(金)20:12:21 ID:1Y0GdgJOC
書聖・王羲之

書道を語るのに絶対に欠かせないのが王羲之。
レジェンド。神様。基本にして究極。
さっき話した草聖・張芝や楷書の鍾?も神レベルだけども
王羲之のなにがすごいって、楷書・行書・草書すべてが卓越していて、その後の書家で王羲之を学ばない者はいないと言われるレベル(現在でも)。様々な故事や伝説があるがキリがないのでほぼスルー。

画像は王羲之の草書
no title

40: 名無しさん 2014/04/11(金)20:15:49 ID:owwRl5Auu
みてるぞー
のんびり続けてくれ

ちなみに「書かれた字」の良し悪しって何で決まるの?
全体のバランスとか?

43: 名無しさん 2014/04/11(金)20:23:51 ID:1Y0GdgJOC
>>40
あざっす
んーとねー、書体にもよるんだけど、一番大事なのは「線」かなあ。
言葉では説明しにくいんだけど、細い線でもしっかりと筆が立って、穂先が中心を通っていたら強い線になるんだ。ただ細く書くだけなら早くシャ!っと書いちゃえばいけるんだけど、それだと「抜けた線」になっちゃう。線を鍛えるには、篆書みたいにゆっくりした筆速で同じ太さのものを書くのがいいんだよね。それこそ王羲之の故事で、木に字を書いたら、筆致が強すぎて削っても削ってもなくならないくらい墨が入り込んでたっていう伝説もあるくらい・・・

41: 名無しさん 2014/04/11(金)20:17:32 ID:1Y0GdgJOC
また、息子の王献之も書に優れ、王羲之を大王、王献之を小王として二人で「ニ王」と呼ばれた。

画像は王献之。王羲之がいなかったらこのひとも神様扱いだったんだろうけど・・・いやすほいんですけどね
no title

42: 名無しさん 2014/04/11(金)20:20:39 ID:14CLNNl4K
最終的に我らが文学ノベルの人に繋がる訳だな

44: 名無しさん 2014/04/11(金)20:27:24 ID:qTgZOcpcQ
甲骨文字や金石文や篆書は字の形が面白いから好き

48: 名無しさん 2014/04/11(金)20:31:13 ID:1Y0GdgJOC
>>44
わかるわかる!子供の書いた絵みたいなのにいまにも通じるもんなあ
no title

45: 名無しさん 2014/04/11(金)20:28:06 ID:1Y0GdgJOC
とりあえず王羲之までの書道の創成期ラスト!

しかし王羲之の真蹟(実際書いたもの)は残っていない。なぜかというと、後の唐の初代皇帝・太宗が王羲之しゅきしゅきー過ぎて王羲之の作品を集めて自分が死んだ時にお墓の中に一緒にいれちゃったのである。余計なことすんな!

でも、王羲之が原本を書いた碑もいくつか残されていて、太宗もお墓に入れる前にちゃんと写しは残しておいたので、いまでも王羲之の字は見ることができるのです。

やべえ何時間もかけて書き溜めたのに一瞬でおわた・・・

簡単な質問受け付けます!!!

46: 名無しさん 2014/04/11(金)20:30:45 ID:hH4OYTRDF
筆ができる前は何で字を書いてたの?

49: 名無しさん 2014/04/11(金)20:37:23 ID:1Y0GdgJOC
>>46
甲骨文字時代は石や骨で削っていて、金文や石鼓文は鏨(たがね)で文字を削ったり掘ったりしていたと思われまする。

50: 名無しさん 2014/04/11(金)20:37:50 ID:qTgZOcpcQ
>>46
甲骨文字の時代には玉(ぎょく)や銅製のナイフで字を刻んだとか
ただし既に筆のようなものがあったらしい

ソースは阿辻哲次『図説 漢字の歴史』p.210~の記述

52: 名無しさん 2014/04/11(金)20:41:55 ID:1Y0GdgJOC
>>50
はう・・・勉強不足でした
でも、筆はないのに、墨は殷の時代からあったから
>>50の言うとおり筆に至るまでの筆記具があったのは間違いなさそう

57: 名無しさん 2014/04/11(金)20:49:34 ID:qTgZOcpcQ
>>52
ちょっと長いけどその本から引用すると

「甲骨文字の中には「筆」の最初の字形である「聿」の字があり、
それは墨液を含ませたか、あるいは乾いて毛先が広がった筆を手に持って
文字を書こうとしている象形文字である。実際に甲骨文字の中には骨や甲羅の
表面に墨や朱で書かれたものも発見されているから、当時は利器で文字を
刻みつける以外に、筆に墨や朱をつけて文字を書くことも行われていたことが分かる。(p.212)」

ちなみに現存する最古の筆は楚(戦国時代)の遺跡から発見された「長沙筆」とのこと

58: 名無しさん 2014/04/11(金)21:03:03 ID:1Y0GdgJOC
>>57
おおあざす!!そういう補足はすごく助かります・・・

じゃあ続き

南北朝時代

南部の西晋が優雅に楽しんでいる間、北部では五胡十六国がドンパチドンパチ大騒ぎして、国が生まれては滅び、いつの間にかひっそり晋も滅んで宋が出来て滅んで他に三つの王朝が建国されては滅び
異民族合戦を制した鮮卑が魏を建国してたりま滅びて周になってたりもうわけわからんのでスルー。

47: 名無しさん 2014/04/11(金)20:31:11 ID:fTQ2tdFSs
学生さんかな?

51: 名無しさん 2014/04/11(金)20:39:30 ID:1Y0GdgJOC
>>47
そうでする。

53: 名無しさん 2014/04/11(金)20:44:43 ID:fTQ2tdFSs
>>51
趣深いスレでした続きをのんびり待つとしましょうか

55: 名無しさん 2014/04/11(金)20:46:31 ID:1Y0GdgJOC
>>53 ありがとうございます!
また書きためるんで気長に待ってください・・・

54: 名無しさん 2014/04/11(金)20:45:30 ID:1Y0GdgJOC
っていうか関係ないけどこういうスレだとお絵かき機能超便利
no title

56: 名無しさん 2014/04/11(金)20:47:33 ID:1Y0GdgJOC
(心っていう字は篆書だと完全にチソコ)
no title

59: 名無しさん 2014/04/11(金)21:05:53 ID:1Y0GdgJOC
大事なのは、この南北朝時代から次の隋にかけて、多くの楷書の名作が残されたということ。

北魏では、南部の王羲之ブームにあまり影響を受けず、独自の楷書が大成した。張猛龍碑や張玄墓誌などが代表。前者は豪快で力強く、後者は端正で気品に溢れる。
画像は張猛龍碑
no title

60: 名無しさん 2014/04/11(金)21:06:17 ID:1Y0GdgJOC
張玄墓誌
no title

61: 名無しさん 2014/04/11(金)21:09:55 ID:1Y0GdgJOC
ちなみにこの時代は、仏教がプッシュされたので龍門石窟などに代表される巨大な仏教石像がつくられ、周りには当時のイケイケな楷書が書かれた。龍門二十品有名。見たことあるひともいるかも。
no title

62: 名無しさん 2014/04/11(金)21:27:23 ID:1Y0GdgJOC
また、南朝陳から隋にかけて、王羲之の七代孫の僧侶・智永が出現。王羲之書法を忠実に再現して、周興嗣の「千字文」を、王羲之風楷書と草書にまとめた手習い書「真草千字文」を残した。(実際には智永が書いた文字を後の人が編集したらしい)

ちなみに智永は能書で有名で、彼に文字を書いてもらおうと多くの人が押し寄せたため、智永は自分の住む寺の門を固く閉ざしたと言い、このことから鉄門限と呼ばれたらしい・・・

あと、この千字文を書いた周興嗣は、当時の皇帝に「一日でなんかすげえの書いてこい」と言われ、一晩で千字文を完成させたらしく、朝になると髪の毛が真っ白だったらしい・・・無茶ぶりぱねえ・・・

63: 名無しさん 2014/04/11(金)21:28:00 ID:1Y0GdgJOC
智永の真草千字文
no title

64: 名無しさん 2014/04/11(金)21:33:56 ID:1Y0GdgJOC


隋は小野妹子がきて煬帝がブチ切れました

おわり





うそです 隋になって中国再び統一されると、南北でバラバラになっていた書風もまとめられ、次の唐の時代での書道芸術の最盛期を迎えるに至るのです・・・




すんません書き溜めてません!!!
唐はめっちゃ量が多いので、書きためてまた明日続き書きます!!!!!

さーせん!!!!!

65: 名無しさん 2014/04/11(金)21:34:59 ID:qTgZOcpcQ

興味深い内容だから続きを楽しみにしてるよ

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